2008年5月12日月曜日

りんちゃん3もどき

もの覚え?
あんたらよりは、白浜へ行っとるん、でも最近はひどいもんだよ。前は好きだった神経衰弱とかも、オンラインゲームでは絶対避けて通るし・・・会議なんかだと必ずメモに手を動かしながらでないと落ち着かないもん。
覚えてると思っていてもすぐに忘れるからね、電話なんかでお名前を最初に言われてメモっとかないと、最悪の結果が・・・何か問い合わせをしようとしてもわかんないんで、まあいいかって・・・  (。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

でもね、ままのぐちって何かに書いておかないと忘れちゃうんだよね。
だから、何回も聞けるのかもね。
(#`-_ゝ-)ピキ
ピキッてなるときもあるけどね。

久代さんていうのが、りんちゃんのままなんだけど、結構な美人さんでして、物腰も楚々として、年を経ても女性を感じさせる人だった。
なおちゃんに言わせると、あきれるほどひどい人としか思わないみたい。
顔をしかめて話をするもんね、お姑さんというマイナス面を割り引いても人間としてなっとくが行かないようで・・・
たしかになおちゃんには、あの人には女らしさというか可愛い女という形容詞は当てはまらないような気がする。
まあ、なおちゃんが、女らしい人だったらうちらの人生はいろんな意味で悲惨だったかもね。
なおちゃんの奮闘記はまたあらためて書くね。
その久代さんに関するおぞましい事件が・・・
久代さんが愚痴を言っていたんですって、「今年になって、おじいさんはまだ3回しか来てくれない。」つまり、今年はまだ3回しかなにをしてないということをお嫁さんであるなおちゃんに愚痴ったんだって、そのときすでにおじいちゃまは80を越えていたそうな、80を越えて3回もいどんだおじいちゃまもすごいけど、3回しか来ないと愚痴をいう久代さんもいい年だろうに・・・これもびっくり。
その話を、なおちゃんがさも嫌そうに眉をひそめて
「だいたい、白浜は色が濃いんじゃけえ」と新婚の私にのたもうた。
なおちゃんの潔癖症(?)は、色んなところに影響があるよね。
人間なんだから色を好むのはしょうがないと思うんだけど・・・まあ、そういうなおちゃんの子だから、色んな意味での偏見を植えつけられたよね。

なんだか、脱線したので・・・りんちゃん3はまた今度チャレンジするね。
おやスマ

2008年5月11日日曜日

りんちゃん2

たよちゃんからチェックが入ったね。
豪華絢爛金仏壇は、借金のかたにいただいたらしい。
りんちゃんのぱぱは、養子だったが、山っ気があったらしく人の保証人になったりして、財産を食いつぶしたんだって。
それでも、田畑、山、現金とかが当時としてはかなりあって、戦前の百姓としては結構な暮らしをしていたね。
それというのも、当時の広島県の農民がかなりいたけど(広島県は移住人数が日本でも有数の人数を占めていた?=これは調べてないからわかんないけど、外国からの送金は当時横浜正金銀行⇒T銀行⇒TM銀行⇒MTU銀行と変わっていったが、広島支店には海外からの帰国者の世話をする人がいたりした、そのくらい多かったみたいね。中国地方の広島に支店があったのもあながち移民と無関係とはいえないらしい)と、りんちゃんの祖父母もアメリカへ移住して、現金を日本に相当額送っていたらしい実子と養子であるりんちゃん両親宛にね。
りんちゃんのままは養女で実子は同じ白浜の谷のほかの家にいたんだって。昔は良くあったのよね、実子を養子に出して、別の家から養子を迎えるっていうの。
拓ちゃんちもままが養女で、ぱぱはお婿さんだったしね。脱線するけど、拓ちゃんちも、昔は大阪の道修町(船場)にあって、薬種問屋をやっていた家にまま(しげこさん)が養女としてもらわれて、実子であるゆきこさんは堺の名家にとついだんだって。
第二次世界大戦でたくちゃんちは没落してしまったけど、ゆきこさんの嫁いだ家は未だに堺に豪邸があるから、人生ってわかんないよね。(結婚後、振袖を着せられて、しげこさんに連れられてあっちこっち大阪の親戚回りをしたんだけど、ゆきこさんの家はちょーびっくりだったよ。)

ちなみに、たくちゃんのぱぱは当時としては珍しかった運転免許を持っていて、戦後すぐに車とか乗っていてハイカラな気風を持っていたらしいね、死ぬまで朝はトーストとコーヒーだったし。

まあ、T銀行でたくちゃんと知り合ったのも何かの縁かな。

おじいちゃんがT銀行に就職した私に、「ありゃあ昔の横浜正金じゃろうが、ええとこに入ったのー」と言っていた。ひいおばあちゃんがアメリカから帰ってきて、りんちゃんのぱぱの家に住むようになっても、送金小切手が送られてきて広島にある横浜正金まで、沼隈のど田舎から毎月出てきてはお金を受け取っていたんだって。
なかなかすすまんね。
長編になるかもしれないので覚悟してね。

PS.きのうままから喜びの電話があったよ、良かったね喜んでくれて。
津和野?前に行ったような気が・・・? ま、いいか、記憶に無いってことは行ってないんだよ。

2008年5月9日金曜日

りんちゃん1

ちょっと、りんちゃんとなおちゃんについて書いてみようと思う。
りんちゃんの育った家:
留の小さいころには親の都合で遊びに行かされていたけど、子供には決して居心地のいい家ではなかった。
離れが一番落ち着けたかな、母屋と違って新しくて市内の家の雰囲気を持っていたしね。
母屋の2階は上がったことが無かったな。
あ、一度だけ上がったけど、2階へ上がる階段は細くて急だし、上がってみると幾つか部屋はあるんだけど、いろいろ物が置いてあって、迷路のようだしなんか出そうで気味が悪かったのを覚えている。まあ、50年以上前の話だけどね。

山も田んぼもけっこうあって、マツタケ山の中腹にはいい湧き水があるからと、ひいおじいちゃんが茶室を作っていたらしい。
田舎の人って、男の人も華道とか茶道をしていたみたいで、たしなみはあったらしい。
離れの横に深い井戸があって、夏でもひんやりとしたおいしい水が飲めるのだけが、楽しみだった。特にスイカなんかを冷やすと、めっぽう美味い。

仏間の横には碁盤、将棋盤が相当あってちょっとした碁会所のようだった、法事とかあると部落の人が集まって遊んでいたと、りんちゃんが言っていた。
でも、りんちゃんはなおちゃんといっしょになった頃は麻雀を覚えたてで、新妻をほっといて、遊びに行っていたんだって。(これは、なおちゃんの証言)

仏間の横を入ると大きなベッドがある部屋があって、そこにおじいちゃんとおばあちゃんが寝ていたんだけど、昼間でも明かりのはいらない暗ーーい部屋で、そこも子供にとってはおどろおどろしい空間だったね。
その奥に一間あって、そこをまがったところに、小部屋があって、おばちゃん達はそこで寝ていたね。

金に飽かして仏壇を買ったらしく、かなり立派な金仏壇で横幅は2メートルぐらいあって、今でもおじちゃんたちの自慢みたいかな?
安芸門徒といって、金仏壇を飾る風習がある。きんきらきんでそれはそれでいいと思う・・・が、都会には持ってこれないよね、特にいまどきの家には似合わないと思うよ。
ただ、桜のばあちゃんちはトイレと風呂が別棟になっていたけど、こっちはトイレも風呂も家の中にあって、これは助かった。ただ、風呂は広い上にお湯を始末するものだから、寒かった記憶しかない。桜は五右衛門風呂で自分が入る前にでマキをひとくべして入るので、ほかほかと暖かかったな。
ただし、ゴキブリほか田舎にでてくる虫という虫は風呂場で遭遇できるとっても楽しい空間だった。2畳ぐらいの脱衣場にはむしろがひいてあるんだけど、くもの巣がいいオブジェになってこれもおつなものでしたね。

なんといっても、夜中にトイレに行くのが怖かったのだ、とうぜん落とし式だったしね。縁側も好きかな、幅一間ぐらいある縁側で黒光りがしている。
土間をへだてて、牛小屋とか物置とかあったね。
土間には、なんぞがあったときに使う御膳のセットがたくさんあって、塗り物の食器も土間のもの入れに積み重ねてあったな。

2008年5月8日木曜日

血管外科3

お待たせしました。
待ってないって、GWでちょっとネットから遠ざかっていたからね、つづくと書いたから、ちょっとお付き合いしてね。

やっと、呼ばれたのが6:00過ぎ、もうあたひ(私)は怒りくるって、多分目が吊り上っていたと思う。

座っていたのは、ちょっと若め、30台半ばぐらいのにいちゃん、
にいちゃん「お待たせしました。」
留「おまちしました、もう、朝7:40にカードを通していまですよ。」
にいちゃん「えーー!、朝から待っていたの?」
去年の8月ごろから足がおかしかったけど、プロサイリン半年以上飲んでるし、タバコもやめたのに顕著な改善が見られないから、血管の専門家に行くとDタロウに迫ったら、紹介してくれたと事情を説明。
にいちゃん「よかったね、夜中にならなくて」
留「はああ」
にいちゃん「ここの血管外科って知ってる?」
留「しりませんよ、こんなに待たせるところ」
にいちゃん「ははは、そうですか。時によったら初診の場合は夜中になることもあるんですよ。」
留「はあ」
けっきょくいろいろやりとりがあって、今日心エコーを撮って異常が無かったことをはなし、造影剤を入れて撮影した血管の写真を見ながら話をする。
びっくりしたのは、血管の写真が立体映像で見れるってこと、進歩しているんだね。
にいちゃん「不整脈とかありませんか?」
留「ここ2年ばかりは、健康診断で軽い不整脈があるみたいですけど、年のせいだと先生はおっしゃってました。」
にいちゃん「まあ、心エコーで異常がないので大丈夫でしょう。普通こういうふうに血管が途中で止まっているばあい、不整脈が起きると同時になにかが飛んでいって詰まることが多いんだ、脳に行けば脳梗塞、腸へいけば腸が腐ってくる。」
留「えええーー!、じゃあ足でよかったんですね。」
にいちゃん「そうですよ、でも検査を一応しましょう、今日はもう無理なので次回」
今日無理だったのは、あんたらがもたもたしとるからじゃい!
と思ったが次回の予約を取って帰る。
まだ、いろいろあったんだけどだんだん記憶が薄れてきたので、血管外科のくだりはとりあえず、おしまい。

ささやきおかみ

船場吉兆って、ひどいね。
お客が箸をつけていないからって、下げたあと別の客に加工して出すなんて。
結構高いお店なんでしょうに・・・ブランドを信じて食事に行っていた人はかわいそうだね。
こういうことがまかり通るということは、他の店でもやっているってことよね。
昔、キャバレーとか喫茶店で出していたカクテルやなんかでさくらんぼがついていたらしい。さくらんぼって殆どの人が残していたので、次の客にそのまま使っていたらしいと聞いた事がある。
喫茶店でクリームソーダについているさくらんぼを次に使えないように、きちんと歯形だけをつけていた時期がある。
全然箸をつけない場合は次に使うのだったら、箸でぐちゃぐちゃにしておいて防衛するとか・・・そうすると刺身なんかは潰してつみれにされるのかな?
本当に信じられない世の中になったもんだね。
中国の餃子のことをとやかく言えないよね、日本の高級料亭でこうなんだもの。
目の前で調理してくれる店しか信用できないのかな、悲しいね。

箸をつけていないものは食べ残しではないって、いういい訳ってどういうこと。

ありえねー。

(_)ガビーン

2008年5月1日木曜日

三角先生

先週の土曜日にマッサージに行ったんだけど、先生に外科的な治療を相談してみようと思うと言ってみた。
最初は、あんまりいい顔をしてなかったけど、C西総合病院の名前を出すと、びっくりして、「実は娘が先天性の心臓の病気で三角先生にかかっている。」
「すごい、いい先生だよ、毎日手術手術で、ほとんど休む間が無いほど頑張っている」とべた誉めだった。
午前中の受付ぎりぎりに行くとそんなに混んでないし、待たされないですむよとアドバイスをしてくれた。

ところで、明日何時ごろ着くの?
迎えに行こうか?

血管外科2

15:30に戻って、受付の人にあきれた顔をされたので、
「15:00過ぎって言われたんですけど」というと、不機嫌に
『ピッチが鳴ってないのに来てもまだですよ。』
「あと、どのくらい待つのですか?」
『そうですね、あと9人ぐらい待つことになりそうですので2時間ぐらいですか。』
「はあー!、2時間ということは17:00過ぎるということですか?」
『血管外科はお一人に時間がかかるので込むんですよ。』
もう、時間つぶしに街まで出かける元気が無かったので、病院の中で待つことにした。
そのとき、薬局に行っていないのに気がついて隣の調剤薬局へ行ってプロサイリン56日分をもらう。個々で約1時間潰す。ちょうど16:00から水戸黄門をやっていて見たくも無い時代劇を見終わったころ薬が出来上がる。
病院の周りに10件以上調剤薬局があるのだが、ここが一番込んでいる。大学病院から出てすぐのところにあるので、しょうがないかな。最初にここに来たので他へ行くのもめんどくさいので変えなかったのだが、いつもは待ち時間にむかつくのだが、こんなときはのんびり出来てまあ、いいかなと思う。
それから、コーヒーを飲んで受付に戻る。このとき16:30。
あと30分ぐらいならしょうがないななんて待っていると17:00になっても呼ばれない。周りを見ると3人ぐらいしかもう残っていない。
12:30に外科の受付をしたときは3人ぐらい待っているとがいたんだけど、途中で20人ぐらいに膨れ上がり、今はまた3人ぐらい。
予約がないと5時間以上またされるんだ。
すこし、悲しくなってきた。
18:00やっと4番の前でお待ちくださいと言われ。4番ドアの前に座っていると、看護士さん?みたいな人が来て、
『「検査は済まされました?』ちょっとムカッときて
「そんなこと誰も言いませんでしたが」
『あらそうなの、あーあ、今からじゃもう検査できないかもね。』と無神経に言う。
「はあ、検査するならするって言ってください。」
『ちょっと、ここでお待ちください。』
はいはい、もうここまで来たら、とことん待ちますよと開き直る。

( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

つづく