2008年5月9日金曜日

りんちゃん1

ちょっと、りんちゃんとなおちゃんについて書いてみようと思う。
りんちゃんの育った家:
留の小さいころには親の都合で遊びに行かされていたけど、子供には決して居心地のいい家ではなかった。
離れが一番落ち着けたかな、母屋と違って新しくて市内の家の雰囲気を持っていたしね。
母屋の2階は上がったことが無かったな。
あ、一度だけ上がったけど、2階へ上がる階段は細くて急だし、上がってみると幾つか部屋はあるんだけど、いろいろ物が置いてあって、迷路のようだしなんか出そうで気味が悪かったのを覚えている。まあ、50年以上前の話だけどね。

山も田んぼもけっこうあって、マツタケ山の中腹にはいい湧き水があるからと、ひいおじいちゃんが茶室を作っていたらしい。
田舎の人って、男の人も華道とか茶道をしていたみたいで、たしなみはあったらしい。
離れの横に深い井戸があって、夏でもひんやりとしたおいしい水が飲めるのだけが、楽しみだった。特にスイカなんかを冷やすと、めっぽう美味い。

仏間の横には碁盤、将棋盤が相当あってちょっとした碁会所のようだった、法事とかあると部落の人が集まって遊んでいたと、りんちゃんが言っていた。
でも、りんちゃんはなおちゃんといっしょになった頃は麻雀を覚えたてで、新妻をほっといて、遊びに行っていたんだって。(これは、なおちゃんの証言)

仏間の横を入ると大きなベッドがある部屋があって、そこにおじいちゃんとおばあちゃんが寝ていたんだけど、昼間でも明かりのはいらない暗ーーい部屋で、そこも子供にとってはおどろおどろしい空間だったね。
その奥に一間あって、そこをまがったところに、小部屋があって、おばちゃん達はそこで寝ていたね。

金に飽かして仏壇を買ったらしく、かなり立派な金仏壇で横幅は2メートルぐらいあって、今でもおじちゃんたちの自慢みたいかな?
安芸門徒といって、金仏壇を飾る風習がある。きんきらきんでそれはそれでいいと思う・・・が、都会には持ってこれないよね、特にいまどきの家には似合わないと思うよ。
ただ、桜のばあちゃんちはトイレと風呂が別棟になっていたけど、こっちはトイレも風呂も家の中にあって、これは助かった。ただ、風呂は広い上にお湯を始末するものだから、寒かった記憶しかない。桜は五右衛門風呂で自分が入る前にでマキをひとくべして入るので、ほかほかと暖かかったな。
ただし、ゴキブリほか田舎にでてくる虫という虫は風呂場で遭遇できるとっても楽しい空間だった。2畳ぐらいの脱衣場にはむしろがひいてあるんだけど、くもの巣がいいオブジェになってこれもおつなものでしたね。

なんといっても、夜中にトイレに行くのが怖かったのだ、とうぜん落とし式だったしね。縁側も好きかな、幅一間ぐらいある縁側で黒光りがしている。
土間をへだてて、牛小屋とか物置とかあったね。
土間には、なんぞがあったときに使う御膳のセットがたくさんあって、塗り物の食器も土間のもの入れに積み重ねてあったな。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

おばばはカーデガンを思いのほか喜んでおりました。なんだか信じられないぐらいで、「いらないあ、いらない」と言いながら、やはり待っていたのかな・・と。ただ、ちょっと女優が入っていたけどね。
せちどのも今日は佐藤にケーキを買ってきてくれてとりあえず一緒にプレゼントを渡しました。そういえば3割のお金を払い忘れておりました、3430円で丁度割れたのでせちどのももらったので、次に何か送るときはおくりますです(^_^;)
明日は母の日なので、どこかへ連れ出そうかと思っております。連休はどこにも行かなかったみたいなので、先ほど電話をしたら「じゃあ、どこかへ連れて行ってもらおうかな」と嬉しそうに言っておりました。
津和野に行ったことがないと言ってたから、そこへでもと思っております(のぶりんが考えた)私はもっと近場でと思ったのだけど・・・。

"りんちゃん1”私はあまり白浜のことは知らない。でも、仏壇は借金の形にもらったと聞いたよ。(ちょっと信じられなかったけど)

では⑵をたのしみにしています。