2008年5月15日木曜日

りんちゃん4

勉強もせず、百姓もせず、仕事もせず、ただぶーらぶーら暮らしていたりんちゃんの楽しみは碁、将棋。田舎には暇人が結構いてりんちゃんちの広間には、打ちに来る人がたくさんいたものだから、門前の小僧でちょっとづつ楽しさを覚えてきました。
ただ、ちゃんと習ったわけではないので、強くはないけど田舎ではまあまあ勝負になっていたようですね。それで、多少自信はあったようですが思い切り実力を思い知らせる事件もありました。
~(=^‥^A アセアセ・・・
これもなおちゃんの証言ですが、後に広島へ出てきて、街頭の碁打ち勝負みたいなのに引っかかって大変な目にあいました。
なおちゃんが実家に帰ったたときに、平塚のバラック建てのうちにりんちゃんはつけ馬つきで帰ってきたそうです。

近所のおじさんがなおちゃんにあとでこっそり教えてくれたのですが、家の中を探しまくって、いくばくかのお金を持って帰りました。
よく聞くと、街中でそうやって詰め碁の勝負をやる人はプロ崩れみたいな人が多くって、絶対詰まない手だけど、ちょっと見には簡単にみえる布石をしてある。
盛り場からちょっと離れた場所の柳の木のしたで、詰むと大金が手にはいるよと看板を張ってあり、1手いくらで勝負をさせ、何手も指させたあげく詰まないと手数だけお金を取られる。これが、ちょっと碁をかじったシロートが面白いように引っかかるんだって。(柳の下のりんちゃんだったね)
付け馬の男達はりんちゃんについて来たものの、あまりにみすぼらしい家を見てふとんとか、家財を持っていこうとしましたが、(当時は布団がいい値段で古着屋に売れたそうです)近所のおじさんがちょっとこわもてだったようで、一喝されてわずかばかりのお金、(わずかでもそれはりんちゃんとなおちゃんが田舎のみんなからもらったお餞別でこれからの生活費だったのに、)ですんだそうです。
かなりの金額があったらしいのですが、なおちゃんは一切そのお餞別を見たことが無いそうです。広島へ来る早々丸裸になってしまったわけで、働くことを知らなかったりんちゃんがやっと働こうと思ったのは、お金が無くて食べるものも無くなったからかなと、留は思います。
でも、このあたりの事情はなんといっても50年以上前の話で、留の脚色がかなり入っているかも。
なんだか、戦後すぐの広島ってやっぱり怖かったんだろうな。

りんちゃんは、80まで生きたのに、田舎の話とか満州での仕事の話とか軍隊の話しと殆どしませんでした。
だから、なおちゃんの証言と酔うとすぐ寝てしまうりんちゃんがまれに話したことを思い出しています。
姉妹のなかでは、留がいちばんりんちゃんとお話をしたような気がします。なんといっても長女だし、小学校2年ぐらいから晩酌を付き合ってきた仲ですから。

つづく

面白いかい?
・・……(-。-) ボソッ

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

うんぽんの小さい時の話はほとんどしらないですね。小学生から晩酌に付き合ってたなんて知らなかったよ~ん。

じいちゃんの碁のぼったくられた話は、よく聞きました。なんたって世間知らずだからね!
田舎の碁会所のつもりだったんだろうね。好きなことやってお金をもらえたらそんな幸せなことはないやね。(なんだかどこかの馬鹿姉妹がくるっている玉屋に似ているかな(汗))
ただ、付け馬はついてこないけどね、せっせと貯金しているよね。